(1)エジプトの反ユダヤ主義

(2)解放者モーセの登場

(3)悪魔の妨害

出エジプトをめぐる神と悪魔の葛藤について学ぶ。

Ⅰ.エジプトの反ユダヤ主義

1.神は、契約の民をエジプトに移し替え、一大民族として育てようとされた。

(1)居住地として選ばれたのは、ゴシェンの地であった。①牧畜に適した下エジプトの地 ②エジプト文明の影響からイスラエルの民を隔離する地

(2)やがて民は、その地で増え広がった。①出1:7Exo 1:7 イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた。

2.悪魔は、エジプトで拡大し続けるイスラエルの民を危険視した。

(1)悪魔は、「女の子孫」(メシア)がこの民から誕生することを知っていた。
 ①悪魔は、エジプトの政治権力を用いて、イスラエルの民への攻撃を開始する。
 ②エジプトは、史上初めて反ユダヤ主義を政策として採用する国となった。
 ③悪魔の手先となったのが、エジプトの王ファラオである。
 *ファラオは、物事の本質が見えない哀れな存在である。
 *自分が悪魔の策略に荷担していることを理解することができなかった。
 ④神を恐れず、自分が神であるかのように振る舞う者は、愚か者である。

(2)反ユダヤ主義の本質
  ①契約の民を滅ぼすための悪魔の策略である。     
  ②さまざまに形を変えて今日まで続いている。    
  ③イスラエルの民を抹殺することで、神の計画を妨害しようとする。

3.ファラオは、3段階の方法で、契約の民を抹殺しようとした。

(1)奴隷として酷使する段階
  ①苦しめれば苦しめるほど、民はますます増え広がった。
  ②その結果、エジプトたちはイスラエル人に恐怖を抱くようになった。

(2)男子の新生児を殺害する段階
  ①ファラオは、男子の新生児の殺害をヘブル人の助産婦たちに命じた。
  ②神を恐れる助産婦たちは、それを実行しなかった。

(3)男子の新生児をナイル川に遺棄する段階
  ①ヘブル人の家に生まれた子が男児なら、ナイル川に遺棄せよと命じた。
  ②しかし神は、幼子モーセを守られた。

Ⅱ.解放者モーセの登場

1.悪魔の策略を打ち破る神の対抗策は、モーセの誕生であった。
(1)幼子モーセは、パロの娘によってナイル川から引き上げられた。
  ①王宮で王子としての教育を受けた。
(2)モーセの120年の生涯は、各40年に3区分することができる。
  ①最初の40年は、エジプトの帝王学を身に付ける期間であった。*彼は、自力でヘブル人を救済しようとしたが、ものの見事に失敗した。
  ②次の40年は、荒野で羊飼いとしての経験を積む期間であった。*出エジプトのリーダーとなるべく神から実践的な訓練を受けた。
  ③最後の40年は、契約の民をカナンの地に連れ上る働きをする期間であった。*モーセの生涯は、80歳から120歳までの期間が最も輝いていた。

2.神は、モーセを通してエジプトの上に10の裁きを下された。

(1)それらはすべて、エジプトの偶像の上に下る裁きであった。
(2)特に熾烈だったのは、第10の裁き(最後の裁き)である。
  ①エジプトの地のすべての初子が、奴隷や家畜に至るまで打たれた。②さらに、ファラオの初子も打たれた。③ファラオは、最高位の神であり、初子はその地位を継承する後継者である。④イスラエルの神がエジプトの神々に勝利したということを表わしている。

(3)裁きの天使がエジプト中の家々を巡った。   
  ①しかし、イスラエル人の家だけは過ぎ越した。②鴨居と門柱に、身代わりとなる過越の子羊の血が塗られていたからである。③これが、過越の祭りの起源である。④今もイスラエル人たちは、この祭りを最も重要な祭りとしている。

(4)ファラオは、イスラエルの民に直ちにエジプトを出るように命じた。
  ①カナンの地に向けての旅は、容易なものではなかった。②悪魔は、あらゆる機会を捉えて、民を攻撃し、挫折させようとした。

Ⅲ.悪魔の妨害

1.悪魔は、パロに心変わりを促し、イスラエルの民を滅ぼそうとした。

(1)パロは豹変し、エジプトを出たイスラエルの民の後を追いかけた。
  ①戦車部隊は、イスラエルの民を紅海の岸に追い詰めた。②悪魔は、勝利を確信したことであろう。

(2)しかし、神は悪魔の策略を粉砕された。   
  ①紅海の水が真っ二つに割れ、真ん中に乾いた地が現れた。②イスラエルの民は、そこを歩いて向こう岸に渡って行った。③同じことをしようとしたエジプトの戦車部隊は、全員溺死した。

2.悪魔は、水不足によってイスラエルの民を滅ぼそうとした。
(1)最初の3日間、民には水がなかった。
 ①ようやく水のある場所に来たが、その水は苦くて飲むことができなかった。②落胆した民は、モーセに対してつぶやいた。③モーセが神に祈ると、神は彼に1本の木を示された。④それを水に投げ入れると、水は浄化された。⑤神はまたもや悪魔の妨害を退けられたのである。

3.悪魔は、飢餓によってイスラエルの民を滅ぼそうとした。
(1)神は、うずらの肉を与え、天からのパンであるマナを降らせた。
   ①この場合も、神が悪魔に勝利されたのである。②マナは、イエス・キリストの型である。

4.悪魔は、再度水不足で民を滅ぼそうとした。(1)しかし神は、ある岩(岩盤)を示し、モーセに杖で打たせた。 ①すると、岩から水が出た(出17章)。②水を出した岩は、イエス・キリストの型である。③打たれたキリスト(岩)から聖霊(水)が豊かに流れ出るようになる。

5.悪魔は、アマレク人を用いて、イスラエルの民を滅ぼそうとした。
(1)アマレク人は、先手を取って攻撃を仕かけてきた。①攻撃方法は、最後部の者(落後者)たちから切り倒して行くというもの。②イスラエルの民がエジプトから持って来た富を略奪しようとした。  ③イスラエルにとっては最初の戦いとなった。④イスラエルは、誕生したばかりの若い国で、戦争経験がなかった。⑤実践経験がなかったので、人間的には勝ち目のない戦いであった。

(2)しかしイスラエルの民は、祈りの力によってこの戦いに勝利した。①モーセは丘の頂に立って祈った。②モーセの手を両側から支えたのが、アロンとフルある。③アマレク人との戦いにおいても、神は勝利されたのである。*神は、悪魔の攻撃をことごとく退けられた。*イスラエルの民が問うべき質問は、2つある。

(1)自分たちに対する神の御心は何か。①この質問に対する答えは、モーセの律法の中にある。

(2)どのようにして神を礼拝すればよいのか。 ①この質問に対する答えは、幕屋建設の中にある。

    

律法と幕屋をめぐる神の国と悪魔の国の葛藤について学ぶ。

Ⅰ.律法の役割

1.神は、イスラエルの民とシナイ契約を結ばれた。
(1)モーセの律法は、シナイ契約の条項である。  
  ①モーセの律法には、613の命令がある。②律法が与えられた目的は、民の生活を正しい方向に導くためである。③律法には、民の弱点(背教)にブレーキを掛けるという目的がある。④メシアが誕生する家系を清く保つことが、最優先課題である。

(2)律法の時代は、
  出エジプト19:1から使徒1章の終わりまで続く。①この時代、イスラエルの民は、律法に従うように命じられていた。②1つでも破ったなら、律法全体を破ったことになる(ヤコ2:10)。③モーセのような預言者が登場したなら、その方を信じることも期待された。*申18:15~19

2.結果的には、民は律法を守ることに失敗した(ロマ10:1~3)。
(1)彼らは、自らの義を立てようとして、抜け道を作った。
 ①ラビたちが作り出した口伝律法がそれである。
 ②また彼らは、旧約時代の預言者たちに従わなかった。
 ③さらに、イエスをメシアとして受け入れることもしなかった。

(2)イスラエルの民の不信仰に対する裁きは、複数ある。

  ①アッシリア捕囚

  ②バビロン捕囚

  ③エルサレム陥落と世界への離散(紀元70年)

  ④患難期(ヤコブの苦しみの日)

3.神の裁きは、イスラエルの民を悔い改めに導くためのものである。

(1)患難期の最後に、イスラエルの民族的救いが成就する。

Ⅱ.幕屋の役割

1.モーセが山頂で神のことばを受けている間に、麓では異変が起きていた。

(1)金の子牛事件①民は、モーセが手間取っていると感じた。②神が民に必要なものを与えておられる間に、民の心は神から離れて行った。③神の時を待つことができず、自分の計画に走った。

(2)民は、自らの手で、自分たちを守り導いてくれる神を造り出そうとした。①アロンは、金の耳輪(エジプトから受け取った品)を集めさせた。②それを用いて金の子牛を作った。明らかな律法違反である。③民は、偶像礼拝のためには犠牲をいとわなかった。④彼らは、出来上がった金の子牛の周りで歌い踊った。

(3)神は激怒し、イスラエルの民を滅ぼそうとされた。①モーセの執りなしの祈りがなかったなら、民は抹殺されていた。②神は、モーセの祈りに答えて怒りを静められた。

2.金の子牛事件の後、幕屋を制作するようにという命令が与えられた
(1)幕屋は、神が聖であることを教えるための視聴覚教材である。①民は、いけにえの動物や祭司たちを通して、神が聖であることを学んだ。②また、聖と俗とを混同することは許されないということも学んだ。

(2)罪人は、そのままの姿では神のもとに出ることができない。①神に近づくためには、神が用意された方法によらなければならない。②罪の赦しのためには、血の犠牲が必要である。③幕屋は、そのことをイスラエルの民に教えた。

3.幕屋が完成したとき、神はそれを認定し、そこをご自身の宿りの場とされた。
(1)シナイ山を覆っていた雲が地上に下り、幕屋を覆った。 ①【主】の栄光が幕屋に満ちた。 ②これは、幕屋の中(聖所と至聖所)に満ちた超自然の輝きである。③これは、人間が直視することのできない光である。

(2)シャカイナグローリーが宿らないなら、幕屋は、ただの天幕に過ぎない。①それと同じように、もし神と出会わないなら、聖書は単なる本である。  ②信仰をもって読み始めると、神のことばであることが分かるようになる。③出エジプトの出来事の目的は、イスラエルの民が神を知ることにあった。神を体験的に知らなければ、約束の地は祝福の地とはならない。

(3)旧約時代においては、幕屋は罪人が神に近づくための唯一の方法であった。

4.新約時代になると、別の方法が啓示された。(1)その方法は、幕屋が予表していたものである。①幕屋全体が、メシアの型になっている。(2)神の子は、人間の間に幕屋を張られた。①これを受肉という。②このお方の内に、シャカイナグローリーが宿った。③このお方は、罪人のいる所まで下り、和解の道を開いてくださった。④このお方は、すべての人が神に近づくことのできる道を開いてくださった。⑤私たちは、このお方を通して父なる神に近づくことができる。

Ⅲ.神の忍耐

1.カデシュ・バルネア事件は、神の忍耐が試された事件である。
(1)約束の地との国境に来た時、モーセは12人の斥候を派遣した。①彼らは、40日間その地を行き巡り、パランの荒野のカデシュに帰還した。

2.相反する報告
(1)10人の報告は、自らの主観を交えた悲観的なものであった。①そこは良い地であることは認めた。②しかし、その地の住民は強力であると報告し、民の心をくじいた。③彼らの報告は、不信仰と敗北主義に満ちたものであった。④否定的なことばは、容易に集団全体に悪影響を及ぼす。⑤不信仰の背後に、サタンがいることは言うまでもない。

(2)2人の報告は、積極的なものであった。①エフンネの子カレブとヌンの子ヨシュア②この2人は、民を鼓舞し、約束の地に入ることができると主張した。

3.民の反応
(1)約束の地で殺されるより、荒野で自然死を迎えたほうが良いとつぶやいた。①ここで、神の忍耐が切れた。
(2)神は、その通りにしようと宣言された。①エジプトを出た世代の者は全員、荒野で死ぬようになる。②しかし、カレブとヨシュアは、約束の地に入るようになる。③さらに、20歳以下の子どもたちも、そこに入るようになる。

(3)イスラエルの民は、荒野で40年間放浪することになった。①40年という期間は、斥候が行き巡った40日を基に決められた。

(4)これ以降、カデシュ・バルネアの出来事が繰り返し語られるようになる。①この出来事は、回帰不能点を超えた典型的な例となった。*申1:19〜46、詩95:10〜11、106:24〜27、アモ2:10、5:25*1コリ10:5、ヘブ3:7〜4:13 ②回帰不能点を越えたなら、いかに悔い改めても状況は変化しない。

(5)ヘブル3:7〜11Heb 3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。/「今日、もし御声を聞くなら、Heb 3:8 あなたがたの心を頑なにしてはならない。/荒野での試みの日に/神に逆らったときのように。Heb 3:9 あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、/わたしを試し、/四十年の間、わたしのわざを見た。Heb 3:10 だから、わたしはその世代に憤って言った。/『彼らは常に心が迷っている。/彼らはわたしの道を知らない。』Heb 3:11 わたしは怒りをもって誓った。/『彼らは決して、わたしの安息に入れない。』」
①イスラエルの民は、イエスがメシアであることを否定した。②その時点で、彼らは再び回帰不能点を越えた。③その結果、紀元70年のローマ軍によるエルサレムと神殿の崩壊が訪れる。④それ以降、イスラエルの民は世界に離散した民となる。

まとめ

1.神の国と悪魔の国の戦いは、メシアを輩出するイスラエルの民を巡る戦いである。
2.神はイスラエルの民の罪をその都度裁かれた。3.しかし、悪魔が彼らを滅ぼすことはお許しにならなかった。
4.この戦いは、まだまだ続く。