聖書を読み解く方法

神(真実と正義の魂)の世界と悪魔(欲望と暴力の魂)の世界の葛藤というテーマを軸に、歴史哲学と して聖書を理解する方法を取って解読していきます。

葛藤の始まり、旧約時代、十字架、原始キリスト教時代、国教会とユダヤ人迫害時代、ルネサンスと宗教改革の時代、近代における啓蒙思想と無神論時代、ホロコースト、核投下、イスラエルの建国、一極化とグローバリズムの時代、イエスの預言を記した黙示録と神の国の完成時代

ユダヤ人とイエスの関係を知る

『新約聖書』に描かれているイエスは、人間の最高峰であると思う。ところが、旧約聖書のユダヤ民族を新約聖書は激しく偽善者と指弾する。そして、キリスト教は、旧約聖書をユダヤ民族から引きはがした。

 「ヨハネによる福音書」は、イエスの口から「あなたたち(ユダヤ人)は、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っています。(略)あなたたちが、(神の言葉を)聞かないのは神に属していないからである」(8-44、47)と、いわせている。「マタイの福音書」は、ユダヤ人に「民はこぞって答えた。『その(イエスの十字架)血の責任は、我々と子孫にある』」(27-25)と、呼ばせている。

 イエスに従わなかったユダヤ人に対する憎しみは、新約聖書を記述したユダヤ人にとって本質的なものであった。
何故か?イエスの死後、反ローマの第一次ユダヤ戦争(AD66-74年)が起こる。イエスの予言に従って「山へ逃げた」ユダヤ人は無傷で生き残った。エルサレムで籠城戦を戦ったユダヤ人は絶滅に近かった。その時以来、ナザレのイエスに従うユダヤ人たちは「売国奴」とユダヤ教徒から呪われるようになった。

 ナザレのイエスをメシアとするキリスト教がローマ帝国の国教(AD380年)となって以来、中世の十字軍を始め、ユダヤ人に対する迫害はヨーロッパ中でキリスト教徒により繰り返し繰り返し行われた。バチカンは1965年の公会議で、ユダヤ人の「主殺し」の大罪に対して、はじめて赦しを与えた。公会議は、ローマ法王が聖職者たちを招集してキリスト教の教義を定める、教会の最高会議である。

 ローマ法王は冷戦下で、全世界の共産主義者を破門する勅令を発した。共産主義者のさまざまな悪行を考えると、当然のことだった。しかし、バチカンはヒトラーのユダヤ人迫害について知っていたのに、最期までヒトラー、ケッペルス、ヒムラ―、ボルマンなどのカトリック教徒を破門しなかった。


ユダヤ人が触らない読まない書

新約聖書、greek bibleと呼ぶ。中でも、イエスの予言(66ヨハネの黙示録)は、ユダヤ人が苦難の果てにイスラエルを建国(1948)、そのイスラエルが反キリストの率いる世界統一政府と契約を結んだ時、地球全体と人類は大艱難時代に入り、激しい人類絶滅危機に7年半遭遇すると、イエスは預言した。

 大艱難時代は、144000人の「イエスを信仰するユダヤ人」が世界伝道を行う。艱難時代の最後に、反キリストに率いられた不信仰者たちはハルマゲドンに終結、イエスがエルサレムに再臨する。そして、イエス・キリスは彼らを一撃で排除する。その後、千年間、平和な地球となる。

 その千年が終わる時、「地球に生まれた全人類」すなわち「生ある者も、死せる者」も、命の書に名のないもは、白い御座前で、「永遠の死」に区分される「裁き」を受ける。千年間、閉じ込めていた「悪魔」も地獄へ投げ落とされ再起不能となる。ここにエデンの園が完全回復する。死のない「永遠の命」の天と地の新しい世界が生まれる。

以上の、ヨハネの黙示録に記させた「イエスの未来預言」は「イエスを忌み嫌うユダヤ人」は知らない。旧約聖書には、メシアを到来を預言しているが、ユダヤ人はイエス(メシア)を認めなかった。そのことが、現代の歴史を動かしている。

日本人が聖書を学ぶ意味と使命があると思います。

旧約聖書とは

聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」全66巻から成り立ちます。そのうち旧約聖書は39巻。天地創造から始まって、イエス・キリストが生まれる400年ほど前までのイスラエルの歴史を扱っています。この39巻の書物は大きく分けて「律法」「歴史書」「詩歌書」「預言書」の4つに分類されます。ここでは4つの特徴と簡単な内容について紹介しています。

旧約聖書は「律法」「歴史書」「詩歌書」「預言書」の4つ

律法

「モーセ五書」

キリスト教では「罪」と「救い」を理解する上で非常に重要なものです。
ユダヤ教のタルムードの核となっている5書です。これらが「律法」と呼ばれる部分です。そのすべてをモーセが書いたと伝統的に考えられてきたことから「モーセ五書」とも呼ばれます。

創世記50
出エジプト記40
レビ記27
民数記36
申命記34

歴史書

イスラエルの繁栄と滅亡

次のヨシュア記からエステル記までが「歴史書」と呼ばれる部分の書物です。

イスラエルの民のエジプトからの脱出・40年の荒野の旅・約束の地カナンへの定住、まず、これらをヨシュア記が扱っています。続いて、士師(しし)たちがイスラエルの指導者として活躍した時代を士師記が描きます。

やがてイスラエルは周辺諸国に習って王制をとり、イスラエル王国となります。ダビデ王・ソロモン王の時に栄華を極めるけれども、その後、神に従わない王が続いて、神の怒りを買い、王国が分裂しました。

ヨシュア記24
士師記21
ルツ記4
サムエル記上31
サムエル記下24
列王記上22
列王記下25
歴代志上29
歴代志下36
エズラ記10
ネヘミヤ記13
エステル記10


失われた10部族
BC721年、北王国のイスラエルはアッシリアに減ぼされ、北の10部族の民は奴隷としてアッシリアに強制連行され、10部族は歴史から姿を消した。
バビロン捕囚
BC597年、新バビロニアの ネブカドネザル2世がユダ王国に侵攻し、神殿を破壊してユダヤ人をバビロンに連行した。 これがバビロン捕囚で、ユダ王国は消滅しユダヤ人は国を失った。70年の後にバビロンがペルシャ帝国に滅ぼされ、補囚民はエルサレムに帰還します。

※バビロンに捕囚されたユダヤ人は、宗教の中心だった神殿の代わりに、安息日の遵守や割礼カシュルート(食事戒律)を厳しく守ることを宗教儀式とした。この捕囚時代にユダヤ教は体系化され、ユダヤ民族はどんな試練にも耐える強靭な信仰心と団結力を持つようになった。

その歴史を、列王記・歴代誌・エズラ記・ネヘミヤ記ガ、記しています。
エステル記はペルシャ帝国時代の物語です。

詩歌書

知恵と愛の歌

成立年代は様々で、ヨブ記は創世記よりも古いと言われていますし、「知恵文学」は知恵者として名高かったソロモン王の時代に諸外国との文化的交流を通して発展したもののようです。

詩篇1、2150
箴言31
伝道の書12
雅歌8

預言書

神から言葉を預かった者たち

イザヤ書以降マラキ書までが「預言書」と呼ばれる書物です。カタカナはすべて、預言者の名前です。このうち、

イザヤ書,エレミヤ書.哀歌.エゼキエル書.ダニエル書は、大預言書と呼ばれています。
ホセア書~マラキ書の12の預言書は「小預言書」と呼ばれています。

神から預かった言葉という意味で「預言」、またそのような言葉を取り次いだ人のことを「預言者」と呼んでいます。これらの預言書の中の言葉が、新約聖書において、イエス・キリストによって「成就した」と記されて、たくさん引用されています。

前後も知っていることを前提にして引用している箇所もあるので、新約聖書を理解するためには、預言書もよく読んで、知っておく必要があります。また、イエスの前提は「ユダヤ人」です。

イザヤ書66
エレミヤ書52
哀歌5
エゼキエル書48
ダニエル書12
ホセア書14
ヨエル書 3
アモス書 9
オバデヤ書 1
ヨナ書4
ミカ書 7
ナホム書 3
ハバクク書 3
ゼパニヤ書
ハガイ書 2
セガリア書14
マラキ書 4

ユダヤ民族のアイデンティーの確立

ラビ ・ヨハナンベンザッカイの選択

西暦 70 年、ローマ帝国との第一次ユダヤ戦争、ローマ軍はユダヤ人の反乱抵抗の中心地であるエルサレムを包囲した。神殿が 崩壊した時、ヨハナンベンザッカイは、エルサレムから箱棺桶に入いり脱出しました。そして、「ユダヤ学問センター設置」をローマの将軍に懇願したのです。

離散するユダヤ人のアイデンティティーを維持し守るために
彼は①神殿の代わりにシナゴーグ⓶大祭司の代わりにラビ➂いけにえの代わりにより多くの「善行を行おう」ことをユダヤ人の行いと会議で 決めたのです。彼はガマリエルの学派出身 のパウロと同級生でした。

ユダヤ人パウロの選択

イエスの福音伝道

生き延びたナザレ派ユダヤ人
イエスの予言に従って「山へ逃げた」ユダヤ人は無傷で生き残った。エルサレムで籠城戦を戦ったユダヤ人は絶滅に近かった。その時以来、ナザレのイエスに従うユダヤ人たちは「売国奴」とユダヤ教徒から呪われるようになったラビ ヨハナンベンザッカイが編纂した、祈禱書12条には、ナザレ派をシナゴーグから排除し呪いが書かれているという。以来今日に至るも、ユダヤ教徒は、ナザレ派を忌み嫌うのです。

 彼はサウロと呼ばれる。熱心なユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害していた。ある日、ダマスカスに向う途中、突然天からの光に照らされて落馬した。「サウロ、なぜ私を迫害するのか?」。サウロは訊ねた。「あなたはどなたですか?」 「私はイエスです。さあ、町に行きなさい。これからあなたがなすべきことを知るでしょう」

 サウロは起き上がって目を開けたが、何も見えない。盲目になったサウロのために、キリスト教徒のアナニアが祈った。するとサウロの目からウロコのようなものが落ちて目が見えるようになった(目からウロコ)。

 サウロはキリスト教徒になり、パウロと名を変えた(パウロの回心)。パウロは12使徒ではないが、新約聖書の著者の一人で、キリスト教の伝道に大きな役割を果たした。特に愛の賛歌が有名である。

パウロは、復活したイエスに出会い回心する(パウロの回心)。彼は熱心なキリスト教徒となり、イエスの愛に生きる道を、新約聖書の「コリントの信徒への手紙」の中で語っている。結婚式でよく耳にするこの言葉は愛の賛歌と呼ばれている。

愛の賛歌

Love is patient, love is kind.
It does not envy,
It does not boast, it is not proud.
It does not dishonor others,
It is not self-seeking,
it is not easily angered,
it keeps no record of wrongs.
Love does not delight in evil,
but rejoices with the truth.
It always protects, always trusts,
always hopes, always perseveres. 
Love never fails.

愛は忍耐強い。愛は情け深い。
ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、
自分の利益を求めず、
いらだたず、
恨みを抱かない。
不義を喜ばず、
真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える。
「愛は決して滅びない」

※たとえ、どんなものを持っていようとも、愛がなければ、無に等しい